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2018年の福島のテレビ。自転車と一人のアナウンサーと。


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2018年も本当にあと少し。

今年の福島県のテレビを振り返り一番大きな出来事といえば、やはりあの名物コーナーの終了だろう。

今年開局55周年を迎えた、FTV福島テレビ 福島市に本社を構えるフジテレビ系列のテレビ局。

 

福島テレビの土曜昼の人気番組「サタふく」

福島テレビ新人アナウンサーが中心となってMCを務める番組で、1981年に番組がスタートした県内民放の番組の中でも屈指の長寿番組。


サタふくといえばのこの企画と言われるような、サタふくの代名詞とも言える定番企画「いぐさひできの自転車でGO!シーズン2」が終了したのは、今年3月の出来事でした。


「いぐさひできの自転車でGO!」とは?

「いぐさひできの自転車でGO!」がスタートしたのは、2003年4月のこと。

福島テレビ福島市御山)からスタートし、1995年入社のFTVアナウンサー藺草英己が県内旧90市町村を自転車か徒歩だけで巡るという企画で、地域住民に近くの見どころスポットや食堂、目的地への道などを教えてもらいながら、コーナーの水色のぼりを掲げ、自転車をこぐという企画だった。

ロケは、お酒を呑むか暗くなるまで、どこに向かうのかも「自由」

時には、とれ高がなかったりロードバイクでもなんでもない普通の自転車で。普通は通らないような山道を走ったり。大雨が降ることもあれば、自転車の調子が悪くなることも。


そんな、ドキュメンタリーにも近いような旅企画である、このコーナーは開始後人気企画となり、コーナー開始3年後の2006年秋には日曜朝に再放送する番組が開始。確実に県民からの支持とサタふくという番組の中での立ち位置を確立させていった。


そして、ゴールまでを撮影し終えた20113福島テレビを目前にしたところまで放送したところで、東日本大震災が発生。

サタふくもあの日から、約2週間後に震災関連の内容として放送を再開。

当然自転車でGO!の企画も一時放送中断。過去に出会った数々の人に再び逢いにいく特別バージョンとなった

自転車でGO!が再開されたのは20121月のこと。225日に無事FTV福島テレビにゴールした。


無事9年間かけ県内全市町村をめぐり、コーナーが終了するかと思われた、その時。



伝えられたのは、シーズン2のスタート。


 

シーズン1終了!つぎはシーズン2へ!

20124月から「いぐさひできの自転車でGO!シーズン2」がスタート。

合併後の県内59市町村を再び回るという企画として再始動した。


2013年、16年春には、サタふくの放送時間も拡大。

ますます、勢いづくサタふく。

ただ、「いぐさひできの自転車でGO!シーズン2」は、藺草アナの多忙により、ロケのストック切れとなる週が発生することがあり、シーズン1と比べても1回のロケをなるべく引き伸ばして、番組で放送するようになるなど市町村を回るペースは落ちていた。


 

まさかのコーナー終了宣告

そんな中、2018324日。

自転車でGO!から大切なお知らせがある。との触れ込みで始まった今週の自転車でGO

新知町の鹿狼山を登山することとなり、絶景の山頂でちょうど日没を迎えこの日のロケは終了。というところでVTRは終了した。

そして、暗く藺草アナにだけライトが当てられたサタふくのスタジオ、そこで藺草アナがカメラに向かって話したのは、




誰もが予想だにしなかった「自転車でGO!」企画の終了とサタふくからの卒業だった。




新規ロケはなし。次週331日のリクエスト企画をもって、自転車でGO!企画は一切を終了するといった内容に、正直なところ私は寂しさしか覚えなかった。


31日には浜中アナも浜ちゃんぽを休止して、スタジオに駆けつけた。この日は、神谷アナも同時に卒業を迎えた。

2時間番組としてのサタふくもこの日、2年間の歴史に幕を閉じた。

全て、リクエストが終了した後、なつかしの映像とともに、藺草アナが自らの足で巡った旧90市町村を読み上げた。

スタッフと藺草アナが一丸となって作り上げてきたこの企画。

番組開始から、白文字に黒い縁取りの明朝体テロップをはじめとするVTRのスタイルは一切変わることはなかった。

だからこそ、いつのVTRを見ても私たちは自転車でGO!という企画、コーナーに深い愛着と懐かしさを感じるのではないか。


 

藺草アナは20187月より、アナウンス職をはなれ制作局制作部長となった。

藺草アナは、1996年から2018年まで(一部途切れた時期あり)常にサタふくに出演し、夕方ニュース番組の出演期間が他のアナウンサーと比べても少ない。

しかし、東日本女子駅伝でのメイン実況やエキサイティング競馬での競馬実況、その他、FTVで放送するスポーツ番組の実況など多彩な番組制作に関わってきたアナウンサーである。

サタふく時代も出演だけでなく、番組制作にも関わっていた。


だからこそ、200万県民を支える福島テレビのアナウンサーとしてではなく、番組制作の旗振りを任せられたのではないのだろうか。

藺草アナを画面ではもう見ることができないかもしれない。ただ、藺草アナが製作した番組が電波に乗って流れることだろう。



「自転車でGO!」の終了は視聴者にはどう受け止められただろうか。

前触れも一切なく、発表前週の大切なお知らせという一言で察したものが少しあっただけだ。

あまりにも突然な別れ、と今まで築いてきた歴史が目の前で途絶えるという悲しさがあった。


「自転車でGO!」の企画は誰かに引き継がれることもなく、最後まで藺草アナのものであり続けた。

これはサタふくという番組が自転車でGO!という企画から独立したいという思いがあったのかもしれない。


Yahoo! JAPANで「サタふく」と入力すると、サジェスト機能で検索候補が表示される。

今も出てくるのは「サタふく いぐさ」「サタふく 自転車」





自転車でGO




この言葉が、藺草アナとスタッフたちが創り上げてきた、誰にも真似することのできない。唯一の企画であったことは言うまでもない。


 

県内のどのテレビ局が県内をめぐる企画を放送しても、15年というかけがえのない時間があった限り「自転車でGO!」を超えることはできないのではないだろうか。

15年間1つの番組で、20分近くのコーナーであり続けた自転車でGO。



サタふくは開局55周年の今年春、伊藤アナ、福盛田アナ、江戸むらさき野村さんにバトンが渡された。

神谷アナがFTVテレポートプラスに異動し、藺草アナは最前線から卒業。

伊藤アナは春までのMCで残る唯一のアナウンサーだ。重圧もあるようだ。

このことは先日の開局55周年記念年末特番でも伝えられていた。

藺草アナという番組の要が退いた今。


番組開始から37年。新年からのサタふくも楽しみにしたい。


クレイジーケンバンドの『GT』や奥田民生の『さすらい』など

数えきれない名曲とともに、藺草アナが福島の地を自転車で巡る日が来ることを願って。