【全文書き起こし】志村けんの訃報。ビートたけしが語った言葉とは。
2020年4月11日、TBSテレビで放送された、
「新・情報7days ニュースキャスター」
この日、番組にレギュラー出演しているビートたけしさんが、先日の志村けんさんの突然の死について、4分近く語りました。
今回はその文章を出来る限り忠実に書き起こしましたので御覧ください。
※注意
⚪︎文中で「ーーー」となっている箇所は、執筆した私には聞き取ることの出来なかった文章です。ご覧になった方で、聞き取ることができた方はコメント等で教えていただければ幸いです。
⚪︎丸括弧は、書き起こした私が注釈として書き加えたものです。
安住アナウンサー「先週放送がありませんでしたので、今日ぜひお話を聞きたいと思います。」
ビートたけし「んーやっぱりね、けんちゃんは苦労してるからね。」
「あのー荒井注さんが辞めるまでドリフのボーヤだからね、その前に浅草の時は『マック・ボンボン』ってコントやってた。
で、ドリフのボーヤ(付き人として雑用などを行う人)になって、ボーヤってもうキツいから、あのー外に立ってたりなんか、それで這い上がったりしてやったんだけど。」
で、あの『ひょうきん族』ってのができたのが、アレ漫才ブームの後で、どうにかドリフを追い抜こうと言って、ドリフはちゃんと作った計算されたお笑いなのね。
だから、あのー、お菓子で言えば大納言とかちゃんとした砂糖と小豆の味なの。
んで「ひょうきん族」って言うのは、完全にテレビの裏側で魅せるっていう人工甘味料なの。ね、あのーだから人工甘味料と本物の味とをやったらね、どうしても新しいものに人は目が動くから、良い勝負で追い抜いちゃったこともあるわけ。
そうしたら結果的に両方ともダメになっちゃった。」
「んで、オイラはーーー、オレは映画行ったり色々、ラジオーーーで、志村のけんちゃんてのは今度加藤さんと組んで、いかりやさんと…コント、ちゃんとした正統な東京のコントをやったんだ。
で、そこに関西のコントが入ってきたんだけどそれの防波堤だったの。」
「で、やっぱりけんちゃんのおかげで、こうずーっと東京の、深夜でもコントを続けた防波堤の素晴らしい人だね。」
「うん、だからオレとけんちゃんで組んでコントやったこともあんだけど、あれお互いにボケツッコミのあれで、コレ噛み合わないんだ。
やっぱ、桑マン(桑野信義)とか、ーーーじゃないとダメなんだ。ダチョウ倶楽部とか。」
「で、ずいぶん苦労したけど、んで最近はあの、2人で三味線と、オレがタップを踊ってる動画が出て、『おー、こんな時代もあった』って喜んでんだけど。」
「まあ、お笑いについてはあのー要するにコント、芸人そのもので、オレは色んなものに出たりするけど、この人はコント一筋の人で。
うん…なかなかね、出来ないですよこういう人は。うん…まあ…あの、時代の、テレビの時代があの色々変化しても、この人はやっぱりお笑いのコントというものを突き詰めて行って。
まあ、その代わり、この人はけんちゃんはオレにこぼすけど、『俺しゃべり下手なんだ』って言って、『しゃべれねえんだ、フリートーク下手でなぁ』って、(志村は)正直に言うけどね。うん。」
「だから、なにもこれで逝かなくたって良いじゃんっていうとこはあるよね。ーーーーちょっと、いずれ人間は死ぬけど、あの、この芸人がこんなとこでって思うけど、本当に逆に考えればけんちゃんは良いとこでおさまったなって感じだ。オレはもっと苦労すんのかなって思う。
良いとこで居なくなったよって、ね。逆に言えば幸せじゃんって、ーーーーーーー居なくなっていくんだからって思うんだけど。こんなこと言うとファンに怒られちゃうけどよ。」
「オレとさんま孤独死だよって、よく(2人で)言ってるけど…へへっ」
安住アナウンサー「やはり、ちょっと別れが突然すぎましたね…」
ビートたけし「うん。ちょっとね、あのーだからあの、鬱になっちゃって、ノイローゼになっちゃって、もうなんか、だから何にも考えなくなったね。
あーあ、オレは一体どういうこれから人生を歩むんだってぐらいまで考えたよやっぱりね。うん…どうしよう、って思ったね。」
「でも。ちょっと冷静になってくれば、やりたいと思ったことを一生懸命やるべきだと。
それで、しょうがないじゃないっていう、余計なことを考えんのはよそう。っていうことになったけどね。」
安住アナウンサー「頼りないですけど、私たちもいますので。」
ビートたけし「ヘヘッ(笑)」
安住アナウンサー「頼ってください。」
ビートたけし「そうそうそう(笑)」